百貨店のストライキとしては、60年振りだという。そもそも、60年もの間、本当に労使がそんなに円満に協調してきたのか?そうとも言えないとしたら、60年もの間、労働者は自分たちの主張がきちんとできてなかったということじゃないのか?
思えば、自分が子どもだった半世紀ほど前は、結構頻繁にいろいろな業種でストが打たれていたのを、子どもながら覚えている。「ゼネスト」なんて言葉も、かなり早い頃に見聞きして知っていた。
それが、パタっとストライキがなくなったはいつ頃か?30年くらい前?
仕事しながらワイドショーをBGM代わりに聞いていると、街頭でのコメントには、どうもストライキに対して意外な印象を持っているのに驚かされ、怒りすら感じる。
よくあるのが、「不便、迷惑」「避けられなかったのか」というもの。ハイソぶったおばちゃんたちが、「いつも地下でおかず買うんですけど、困りました」なんて聞くと、ちょっと腹が立つ。こんなことしないて、なんとか話し合えなかったのか、なんていうコメントも同様。
笑ったのは、「この令和の時代にストライキなんて。。。」というもの。ストライキってのは、歴史上の出来事としてとらえているのか?それとも、「令和は労使協調の時代」とでも言うのか?
どこの局かは忘れたが、あるコメンテータが、自分の欧州での留学体験から、ストライキというものの重要性や労働者や社会問題への理解促進、ってことに触れてたのは、一筋の光明。
フィンランド滞在時も、結構ストライキがあった。直接影響を受けたのは郵便と交通だけど、そういうときに現地の人の意見を聞くと、否定的なものはほとんどなくて、大体は労働者への理解と応援、ストの争点となっている問題への認識に関することだった。
不便はないと言えば嘘になるが、自分が日常不便を感じずサービスを享受できているのは、もしかすると多くの労働者の自己犠牲の上に成り立っているのかもしれない、と考えれば、多少の不便は辛抱して、同じ労働者として共闘してあげたい気持ちになるはずだし、ならなきゃ、あまりに世知辛い。