こういう生き証人の話を直接聞ける機会もほとんどなくなりつつあります。
有料会員限定記事ですが、一部を引用します。
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戦争そのものへよりも、戦争を起こす者への怒りが大きかった。息子や夫の戦死を言祝(ことほ)ぐように強いた者に、みじめに餓死していった戦友を英霊とうそぶく者に対して、真っすぐに怒っていた。「安全地帯」から戦争をあおった政治家や官僚、軍の上層部を生涯、許さなかった。
死線を幾度も越えてきた「生かされている者の責任」として始めた語り部活動を、瀧本さんがやめると言い出したのは2016年8月のことだった。
「講演活動を続けても何も変わらない」「時代はますます悪い方向へ向かっています」。親しいジャーナリストの矢野宏さん(59)に、そう吐き出した。直前の参院選で改憲勢力が大勝したことに落胆したのだ。
それまでも、13年の特定秘密保護法、14年の集団的自衛権行使容認の閣議決定、15年の安保関連法と続いていた。これらに戦争の「腐臭」を嗅ぎとっていらだちを深め、17年の「共謀罪」法制定で、「くるところまできたんですわ」と極まった。
自分のような下っ端の兵隊なんぞ軍隊と戦場にあっては消耗品か取り換え可能な備品。虫けらのように殺されて当たり前――。そう繰り返し語ってきたのに、国民は分かってくれないと焦りを募らせていた。
中止宣言を撤回したのは若者への思いだった。宣言後も寄せられる講演依頼をどうしますかと聞くと、小学生から届けられた感想文に目を通しつつ、「……たぶん、行くと思いますわ」と答えた。「選挙の結果を見て分かりました。もう大人は信用ならん。これからは若者の命を守る一本でいきます」。それからは再び、講演の日時と場所をカレンダーにうれしそうに書きこんでいた。
天皇陛下のために死ぬ。お国のために死ぬ。死ねば神として靖国神社にまつられる。これこそ男子最高の名誉――。戦前の日本を覆った風潮を素朴に信じた瀧本さんは、徴兵検査を待たず、17歳で佐世保海兵団を志した。23歳までの青春時代を戦争に捧げた。
なれの果てが南洋の小島での飢餓だった。周りが骨と皮になって死んでいく。弔うこともかなわない。薄らいでゆく意識の中で、「ここで野垂れ死んでヤシの木の肥やしになることのどこが国のためなのか」と考えた。国にだまされたのだと気づいた。
あの戦争への郷愁の一切を、瀧本さんは鉄の意志で拒んだ。おかみの言うことを疑わなかったのは愚かだったと自らを裁いた。
若者よ、私のようにはだまされないでくれ。「国を守る」などという耳に心地よい言葉に惑わされないでくれ。若者を戦争で殺す。その戦争でもうける。それが戦争なんだ。そんな戦争なんかに行くな。頼むから命を大切にしてくれ。
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