実習校訪問2025を振り返って

今年度は埼玉、東京、千葉の合計8校を訪問して、教え子の授業を参観してきた(まだ後期に若干名残っているけど)。今年度強く感じたのは、あまり好きではない流行言葉をあえて使って言い表すと、「指導教員ガチャ」。

実習を受け入れてくださることには深く感謝しなければならないが、どのような指導をしてくださるか(あるいはしてくださらないか)は、行ってみなければわからない状況。ほとんど放任に近い場合もあれば、かなり強い指導を入れてきたり、上手に実習生を伸ばしてくれる場合もある。

かなり強い指導が、その方向性が学生をこれまで育ててきたこちらの方向性と親和性がある場合はいいが、中には指導案の作文に妙なこだわりを持って望んだり(「指導案の書き方」の記事参照)、発音指導などしなくていいと言われたり(「発音指導って、意味ある?」記事参照)、大学で教わったことなど机上の空論、役に立たない、と切り捨ててくださるケースすらあった。

一方では、実習生が来て授業を後ろから観察しつつ、普段とは違う角度から生徒を観察して多くの発見をしたり、実習生への講評がいつの間にか指導教員のお悩み相談と助言の時間になったりすることもある。こういう姿勢の指導教員に当たる学生は幸せだろう。

フィンランドの教育実習を年間を通じて観察して論文にまとめたことがある。印象的だったのは、教職課程を置く大学にはそれぞれ付属学校があり、そこで実習生の指導に当たる教員たちは大学で研修を受け、学生たちをどのように導いたらよいか、どのような授業作りをするべきかなど、共通の理解に基づいて指導に当たっていること。学生や大学の数が圧倒的に多い日本でそれを真似することは難しいかもしれないが、教員の質の高さを担保しているのはこのあたりに秘密があるのだろうと感じた。

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