日本の教員免許・養成制度についてまとめていたところ、ちょうど台風が大暴れしてひどい爪痕を残していった。
この二つに妙な共通点を感じたので、メモしておこうと思う。お暇があればご意見いただければ幸いです。
共通点とは、とりあえず当時の必要に迫られてやっつけ仕事で作ったシステムが、ずっとそのままになっているということ。
日本の現在の教員免許授与や教員養成のシステムは、戦争を挟んでそれまでの師範学校制度がスクラップとなり、絶対的な教師不足に対応するため、師範学校から大学に教員養成を開放したのが始まりで、今もほぼそのまま。
今回の台風でもっとも影響を受けた電力は、ほとんどが地表に出ている送電線や電柱で支えられている。日本で暮らしていると慣れきっていて気にならないが、近代的な社会資本が整備された海外の都市で、ふと景観が妙にすっきりしているのに気付く。電柱や電線が醜く張り巡らされていることがない。
これも、とりあえず送電範囲を安価に広げ、あるいは戦後の復興時に手っ取り早く工事を進めるやり方が定着したままになっているんじゃないか?台風がこれだけ頻繁にやってくるのだから、当然地中に収めておいた方が安全だというのはわかっていても、近視的なビジョンのためにそんなことに金をかけて来なかった。
あれだけ無駄な軍備や予算のバラマキをしまくっているのだから、金がないわけじゃないだろう。ビジョンがないのと、何を重要と考えるか、というところがズレているんだろう。
ただし、教員養成を一部に絞り、掌握しやすくしようとする近年の文科省の動きは、そういう政策を出してくる政権自体が歴史修正主義と復古主義にまみれているから、諸手を広げて歓迎するには危険すぎる。