かなり唐突かつ強引に学校に突きつけられた情報科・プログラミング教育に関する記事。案の定、肝心の担当教員不足が申告。そりゃそうだろう。
タブレット持ち帰りNG、不足する情報科の教員–どうなる「GIGAスクール構想」
でもこれって、小学校英語でもまったく同じ混乱を起こしてたんじゃなかったか。学んでないというより、とにかくやっちまえ、という確信犯なんだろうな。
何を教えるかばかり、それこそ机上のお膳立てをしたところで、結局は誰が教えるのかをしっかり抑えていなければ、所詮絵に描いた餅。
餅の絵なら大した害はないが、小学校英語にせよ、プログラミング教育にせよ、GIGAスクールにせよ、あるいは道徳教育にせよ、現場で振り回される子どもたちや教師にとってはすこぶる迷惑な話である。
これほど大規模で新たな事業を組み込むなら、まずはそれを担う教員をきちんと育成してからやればいいものを、なぜこれほど性急な導入をするのか。
GIGAスクール構想も、端末を配布することばかりが先行して、なんのために使うのか(あるいは使わないほうがいい場面はないか)、維持管理体制はどうするのか、ほとんど議論も準備もないまま、とにかく使え!とばかりに配布され、その実務を担う教員を疲弊させては、ICTのご利益を上回る害が出てしまい、全体の教育機能は低下してしまう。
そもそもこの構想、ただの単位を名前にしたところからなんだかチンケな感じが漂っている。巷じゃ、GIGAが「通信容量」の意味で使われてたりもすると、そんな程度の誤解というか理解なのかなとも感じてしまう。
GIGAの次はTERAだから、GIGAスクールが頓挫したら、いっそ寺子屋に戻す?