いわゆる「筆記体」指導について

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上の画像をシェアしたら、普段は戯れ言ばかり言い合ってる高校時代からの友人が、「筆記体を教えるのは英語教育においてはかなり重要なことなのですか?」などと、急に真面目なコメントつけてきました。
最初はそれに真面目に返答すべく書いていたら、思いのほか長文になってしまったので、ブログに掲載してリンクを貼り付けることにしました。
以下が、彼の問いへの回答です。
いわゆる「筆記体」を教えねばならないかという意味の「重要性」は、まったくないです。ただし、書くときに用いる書体について、もっと真面目に考えるべきだという点では、重要な問題です。

まず、他人様が、ましてや教えている相手が読むのに苦労するような書体でしか書こうとしない教師は論外です。

で、日本での指導の歴史を振り返ると、我々の世代(五十代)くらいまでは、だいたい中1のころは、いわゆる「ブロック体」という、マルと棒で書いたような書体で教え、中2の夏休みくらいで、いわゆる「筆記体」のペンマンシップを突然配られ、新学期までに練習してこい、もう授業も筆記体で書くからな(筆記するんだから、そりゃ、筆記体だろうよ、なんて悪たれつく生徒はいない)、と大どんでん返しが起こります。
 
ところが、中学校の英語授業時数も週3時間までに激減された時代、そんな残酷な風物詩も、時数の余裕がなくなり、やってられなくなりました。それで、中学校でのいわゆる「筆記体」指導もなりを潜めました。
 
写真につけられた別のコメントでは、大学の英語母語話者教員のことが報告されていましたが、日本の高校でも、上のような事情を知らない教師が、中学校から入学してくる生徒について、「最近の生徒は筆記体も知らん、中学校では何やってんだ、板書ができん」みたいなことをしばしば文句言っていましたが、さすがにそういう輩も絶滅したようです。
 
最近、つづりを覚えられないなど、読み書きに困難を抱える学習者には、cursive(いわゆる「筆記体」とはいってない)が効果的らしいという報告が出てきました。確かに、いわゆる「筆記体」指導が跋扈していた時代から、流れに乗ってつづりが覚えやすい、という指摘はありました。
 
しかし、cursiveの指導で用いる書体に、どのような特徴・特性を持った書体を採用するかという議論も視点も、これまでの英語教育界にはほとんどありませんでした。「だって、おらも、これ、ならったもん」程度の認識で、19世紀の銅版印刷時代から流行していた装飾過多の書体を綿々と指導してきたわけです。
ちなみに、私の修士論文では、いわゆる「筆記体」と、そうではない書体とを比較し、急いで書いたときにどれくらい読み間違いが発生するかを実験して調べ、速度に対する耐性が「筆記体」では著しく低い、という結果が出ました。そんな文字指導に関する研究は、今でもほとんど見かけませんが、本当はこういう入門期のことが、先々の英語学習にも大きく影響するので、文字の読み方指導に並んで、もっと光が当たるべき領域だと思います。
 
で、これからどうすればいいのかというと、読みやすく、書きやすい、ちょっぴりオシャレな書体で、あるとき突然がらりと乗り移るのではなく、流れに乗ってつなげて書こうと思ったら無理なく徐々につなげられるような仕組みを備えた書体を、日本の英語教育界のスタンダードにすればいいと思います。
ふぅ、珍しく真面目に書いたら、くたぶれちゃったぜぃ。
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