CLILについて勉強

clilosakaflyer大阪教育大学で行われた、「小学校英語教科化に向けた専門性向上のための講習の開発・実施事業 CLIL(内容言語統合型学習)ワークショップ−フィンランドの初等英語教育に学ぶ−」というCLILに関するセミナーに参加して勉強してきたたので、学びの整理を兼ねてメモしてみました。

あくまで個人的なメモなので、理解不足や誤解もあるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。

これまでの授業と何が違うのか?

  • これまでやっている授業と、あまり変わらないという意見もあるようだが、単に言語操作に終わらず、内容も深めつつ英語で授業をしている教員にとっては、あまり代わり映えのしない方法と写るかもしれない。実際、自分でもこれまでやってきた方法がかなりCLILと共通していると思った。
  • 大きな違いとしては、授業へのアプローチを、「4つのC」という概念に従って整理再構成したという点かもしれない。
  • 既存の検定教科書でも、内容が希薄な単元もある一方、それなりに新たな学びにつながるような単元もある。少なからぬ教員が、教科書の題材は、文法項目を教えるための「つま」程度の扱いしかせず、内容について深めることも、それを英語で伝えることもしていない。
  • つまり、依然として文法シラバスから抜け切れていないのは、教材やシラバスの問題というより、教師の言語教育観の問題のような気がする。

4つのC

  • Contents:従来の言葉で言う「題材」に相当
  • Cognition:学習したことを再構築し、分析や統合、創造を行うこと
  • Communication:教師と学習者、あるいは学習者同士の情報や意見のやりとり
  • Culture/Community:nationalだけでなく、classroomなどのcultureも含む

未知の内容か、既習の内容か?

  • 恩師の若林先生も、かなり早くから、学校での様々な教科の既習事項をもっと英語の授業に取り入れるべしということを主張していた。その場合、「未知の内容」ではないので、CLILにはならないのか、疑問に思っていた。
  • 講師のJosephine Moateさんが、フィンランドでの事情を引き合いに出しながら、小学校では比較的多くCLIL授業が行われるが、高等学校くらいになると時間数も減る。そのような場合には、既習の内容を英語で扱い直すようなことも行われている、ということをお話ししていた。
  • だとすれば、日常生活における英語の使用頻度や環境を考えると、日本でCLIL的授業を導入する際には、他教科で母語により既に指導された内容について、英語で学び直しするというアプローチの方がうまくいくのではないか。

感覚に訴える手法の多用

  • Moateさんが実演してくれたCLIL授業では、視覚や聴覚などの感覚に訴える手法が多く用いられていた。
  • 身体部位に関する授業デモでは、先生はいきなりしゃがみ込んで、黙々と床に紙を並べ始めた。何してるんだという参加者は、それぞれ立ち上がったりのぞき込んだりして興味を引かれていた。床には、白い紙で人の形が作られ。
  • セミナー後に、そのような印象を持ったことを話し、他にも実物を持ち込んで触覚に訴えたり、教室外に出るようなfield tripなども活用するのか直接質問したところ、そのような実践をしばしばしているとの回答だった。

伝統的な手法か、デジタルか?

  • ジョセフィーヌ先生が種子のライフサイクルに関する小学校低学年向けの授業を実演しながら、普段はカードなどを使ってやるので、プロジェクタでデジタルデータを提示する方法でうまくいくかどうか、という主旨のコメントしていた。先日のシンガポールでの発表とも関連して、強い関心を抱いて、終了後に個人的に質問してみた。
  • 普段の授業では、ピクチャーカードやポスター、モデル、実物などを多く活用し、複数の生徒が同時に操作してわいわい学習できる環境を心がけているということ。
  • 技術的な進歩はまだまだ期待できるとはいえ、当面は従来の伝統的な手法とデジタルメディアについて、単に最新機器でこれまでのものを置き換えるという単純な考えではなく、使い分けと選択・共存を思慮深く考えることが必要になる。

結局

  • 呪文のようにCLIL、CLILと唱えても、授業は改善しない。小学校教員の多くは、総合的学習やCLILとかけ声をかけられなくても、子供たちが興味を引く内容を上手に組み立てて授業をすることに長けている人が多い。
  • 問題は、内容の学習を、どのように言語(この場合、英語)の学習につなげられるかということ。そのためには、相当な英語力が必要になる。
  • よくある誤解は、高校より中学校の方が扱う英語のレベルも低いから、教師の英語力も低くて大丈夫、ということがある。その誤解を小学校の英語授業に持ち込むと、教師児童双方に不幸な結果をもたらす。
  • やはり最終的には、教師の英語力と、授業構成力、提示スキルが肝。
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