Presentation slides for CLaSIC2016

Presentation slides for CLaSIC2016 by AWAJI Yoshimasa
“Endangered Teaching Skills Behind Flooding Technologies”

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障害とどう付き合うか?

抱える障害と、どう折り合いをつけて行くか、それを周囲にどう理解してもらうかについて、最近経験した対照的な二つのこと。

ある日、グリーン車の二人がけ窓側席に座っていたら、私よりちょっとだけ年上と思しき、杖をついた男性があとから隣に座った。左側に麻痺があるようで、左手は効かない。まっすぐ座りにくいらしく、真ん中の肘掛に体を預けるように座るので、こちらは窮屈。でも状況を察して我慢。

それから、いろいろなものが入って重そうなカバンから本とマーカーを出し、可倒テーブル上で読書を始めた。左手が使えないので、身体を斜めにして、腕で本を抑えつつ、あちこち精力的にマークしている(蛇足だけど、見開きの半分近くが黄色くなってるのは、マーカーの役目を果たしているのかな?)。このときの身体の捻り方で、頻繁に肘がこちらの身体を突く。痛くはないが、こちらも仕事に集中できない。おまけに、身体を捻るのに邪魔になる足元のカバンは、私の足元に突き出ている。

せめて、会釈とか、断りのひと言があればこちらの気も治るが、彼からは、何のモーションもない。その余裕すらないのかもしれないが。

そんなことを考えていた日から数日後、地下鉄を降りて混み合うホームを改札に向けて歩いていたら、ちょっと前をゆっくり歩いている人の背中に変なものがついているのが目に入った。何だろうと近づいてみると、黄色い紙に赤いマジックで、「障害があります。お先にどうぞ」と、苦労して書いたと思われるような字で書いてあり、それが襟に洗濯バサミで止められていた。

流石に写真を撮ることは気が咎めた。その苦労した意思表示に心打たれ、事情を話してお願いすれば取らせてくれたかもしれないが、言葉で描写してわからないような状況ではないし、やめた。

その人は、自分が流れに乗って歩けないことを気にして、後ろの人がイライラしないように知らせる紙を背負うことにしたのだろう。決して見栄えもカッコウも良くないが、自分が格好つけるより、人様にお知らせする方を優先したのだろうなと、いたく心にしみた。もしかすると、過去には理解ない人からどやされて、嫌な思いをした経験があるのかもしれない。

いろいろなレベルの障害があって、一概にどうするべきとは言えないけど、ちょっとした説明と意思表示をすることで、周囲の対応や気持ちもガラリと変わるんだということを、おじさんの黄色い紙に教えられた。

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被服廠跡

両親は仕事を持っていたので、子どもの頃は祖母が帰宅後の面倒を見てくれていた。

9月1日の震災記念日には、いつも両国にある被服廠跡に連れてこられた。どうやって行ったかあまり記憶がないが、電車で来ようとすると、上野から秋葉原経由でぐるっと回らなければならないので、おそらくバスを使ったと思う。おばあちゃんに手を引かれて行った感触ははっきり覚えている。

一角にある復興記念館(当時そういう呼び名だったかは知らないが)の展示や、慰霊堂の中に飾られている震災当時の様子を描いた大きな油絵が記憶に焼き付いている。中でも、理由はわからないが、うず高い遺骨の山の前で、僧侶が読経している絵と、橋を襲う火炎流に人間が巻き上げられている絵は特に印象に残っている。

その絵は記念館にも慰霊堂にも見つからず、もう撤去されたのかと思ったら、慰霊堂の奥で垂れ幕が仕切られ、非常口と掲示が出ている隅っこで見つけた。

公園内の一角には、小池都知事が慰霊文を拒否した、朝鮮人虐殺の慰霊碑も建っているが、子どもの頃にはこれはまだなかったと思う。

それにしても、両国駅を降りて歩き出すと、歩道の半分以上を占有する屋台がずらっと店を出していた。はじめは大江戸博物館のイベントに連動したのかと思ったら、それは結局横綱公演まで続いていた。歩行者が相互にかろうじてすれ違えるくらいの幅しか空いていない。たまらず通りの反対側を歩いた。

招魂たくましさには感服するが、被服廠跡に来る人々にとって、こういう屋台って、必要だろうか?

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「教員需要の減少期における教員養成・研修機能の強化に向けて」報告書に関して感じたこと

ユーシキシャ会議が近々発表する報告書の内容が報じられていたので、それについて考えたことを挙げておきます。

いずれ報告書は正式に文科のHPで講評されるでしょうけど、それまでの参考と、記録のために、最後に記事本文を引用しておきます。

で、以下が報じられた報告書内容の案について感じたこと。

  1. 相変わらずPDCA言ってますが、そういう短期的な結果が出ることばかりではないのが教育。そこいらの企業的感覚ばかり持ち込んでも、哲学がなけりゃだめ。
     
  2. 教員養成の専門性を高める対策は大賛成だけど、現政権のきな臭い目論見の中でこれを進めることには「重大かつ深刻な」懸念を感じる。
     
  3. 現実的にはかつての師範学校の流れをくむ学部だけでは教員養成を一元的に担うのは無理。既存の教員養成学部のうち、大学院まで一貫した受け入れ体制が整っているところも残すのが賢明。
     
  4. 優秀な学生の教員志望を伸ばしたいなら、採用プロセスを抜本的に見直さなきゃ。卒業ギリギリまで本当に採用が来るかどうかわからない状況があったり、何年も臨採のまま使い倒したりすることをなくさなきゃ、いい人材は集まらない。
     
  5. 教職大学院で、現場に即した実践的な教科領域教育の指導ができるに足る人材確保しているの?
     
  6. 大学院と現職教員の研修を連携させるのは大賛成。ただし、非常勤の確保など研修に出やすいような体制作りと、費用面の手厚い支援が必須。また、上の問題と同様、大学院で実践的な教育を受け終える指導体制の確保が課題。
     
  7. 「教員養成の実践性を重視した学位「Ed.D.」の必要性」って、まあ学位として形になるのはいいことだけど、そもそも博士号にそういう実践を重視したものを期待するのに無理はない?

記事の引用(https://www.kyobun.co.jp/news/20170829_06/)

教員養成を特定大学に集約 有識者会議が報告書了承

2017年8月29日

文科省の国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議は8月29日、第11回会合を省内で開いた。委員間で報告書「教員需要の減少期における教員養成・研修機能の強化に向けて」の案の最終確認を行い、内容を了承した。

同報告書は、予算や人材、機能強化では、各地の教員需要の推移に基づく入学定員の見直し、近隣の大学間で一部の教科の教員養成機能を特定大学に集約したり、共同教育課程を設けたりするための設置連携や協力を行う点などを記した。

また、教員養成機能の強化として、着実な課題改善へのPDCAサイクルによる目標設定や検証などの実現、教職大学院での学校現場に即した実践的な教科領域教育の導入などを掲げた。

さらに今後、教員需要の減少期を迎える一方で、教員はより高度な専門性が求められる状況を指摘。教員養成の中心的役割を果たす国立教員養成大学や学部などが、限られた資源の中で、エビデンスに基づく教員養成機能を着実に高め、学校教育全体の質の向上をリードするとの目標を示す。

教員養成機能の強化では、確実なPDCAサイクルの実現、協議会参画による教委などとの地域連携などを挙げる。協働を通じて教員のライフステージに応じた体系的な資質向上策などに関わり、地域ニーズに基づく教員養成カリキュラムの改善などにも携わる点もうたう。

また、学生の教員就職率の向上を視野に、実践と学問探究の両面に尽力する大学教員の比率を高めることや、「教員養成学」に相当した学問分野の発展なども提言している。

教職大学院での学校現場に即した実践的な教科領域教育の導入や、現職教員に向けた同大学院での教育と研修機能の強化も示した。

委員は、これまでの議論を振り返り、▽検討にあたり詳細なデータに基づく課題出しができたのは良かった▽教員養成の実践性を重視した学位「Ed.D.」の必要性▽「教員養成学」への大学や教職大学院関係者間の議論の必要性――など、感想や意見を述べた。

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「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」

渋谷の連れ込み宿(死語)街のど真ん中にあり、渋い作品を上映するユーロスペースで、「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」を観てきました。

予告編

会場はほぼ満席、でも私が若者に見えるくらい、周りの観客は総じて高齢。もっと多くの若い人が観ればいいのに(って、平日の昼間じゃ、普通の人は無理か)。

なんと言ってもいちばん印象に残ったのは、あれほど血と涙にまみれた戦いの中でも絶やさない、亀次郎さんのなんとも言えぬ愛嬌のある笑顔。人間性と優しさが溢れ出てる笑顔で、同じく民衆に親しまれた指導者だったホーチミンを連想しました。

その一方で、とにかく「不屈」。米軍配下の不当な投獄で二年近くも独房に入れられていてもまったくひるまない。むしろ、それによって人々の信頼もますます厚くなり、出所して来たときは大勢の市民に大歓迎された。そのときの笑顔もとても印象的。

この「不屈」という言葉は、亀次郎さんの標語とされているが、実はご本人は、沖縄民衆による決して諦めない戦いの様子を言い表した言葉として使っていたようです。でも、彼を慕う民衆たちにとっては、亀次郎さんの不屈の精神を賞賛する言葉だったとか。

とことん不屈なのに、堅苦しさや偏屈さはまったく感じず、むしろしなやかな粘り強さを感じました。亀次郎さん自身も、その粘り強さと不屈の精神を、沖縄の樹木ガジュマルにたとえていたようです。

米軍に買い込まれた議員の工作によって那覇市長の座を追われることになったときも、裏切った議員たちもガジュマルの木陰でしばらく休み、またともに沖縄のために戦っていけばよい、と心広く受け止めたそうです。

県民の民意を裏切ったあの仲井真知事の父親も、米軍に基地反対住民の情報を売り渡す工作員だったとは知らなかったです。親子で裏切り者とは。

ドキュメンタリー最後の、国会議員として国会で佐藤首相と論戦する場面は圧巻。

 

 

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教員免許状を持つ大学教員の免許更新

教員免許更新制が始まった当初は、現職教員が更新をうっかり忘れたり、受講したのに手続きを忘れて免許が失効してしまったり、免許が失効したのに気づかず教えていてある日突然職を失ってしまうなど、あまりにも可哀想な事例が少なからずあった。

不思議とあまり騒がれないが、免許を所持している大学教員が免許を有効のまま維持しようとすると、意外な落とし穴が待っている。

以下、自分への覚え書きとしても、情報をまとめておく。

引用は、特に断りがあるものを除いて、すべて文科省HPの「免許更新制度」(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/)から引用している。

更新講習の受講資格

まずは、受講資格について確認する。文科省のページでは、次のように説明されている:

4.1 受講対象者(※新免許状・旧免許状共通)
 更新講習の受講対象者(講習を受講できる者)は、普通免許状又は特別免許状を有する者で、以下に該当する者です。
(1) 現職教員(校長、副校長、教頭を含む。ただし、指導改善研修中の者を除く)
(2) 実習助手、寄宿舎指導員、学校栄養職員、養護職員
(3) 教育長、指導主事、社会教育主事、その他教育委員会において学校教育又は社会教育に関する指導等を行う者
(4) (3)に準ずる者として免許管理者が定める者
(5) 文部科学大臣が指定した専修学校の高等課程の教員
(6) 上記に掲げる者のほか、文部科学大臣が別に定める者
また、今後教員になる可能性が高い者として、
(7) 教員採用内定者
(8) 教育委員会や学校法人などが作成した臨時任用(または非常勤)教員リストに登載されている者
(9) 過去に教員として勤務した経験のある者
(10) 認定こども園で勤務する保育士
(11) 認可保育所で勤務する保育士
(12) 幼稚園を設置する者が設置する認可外保育施設で勤務している保育士
も更新講習を受講することができます。

 

加えて、旧免許状所持者の受講対象者のうち、上の(1)、(3)、(4)、(6)については受講義務者として扱われ、更新講習の受講義務があるとされている。

参考までに、なぜ旧免許状所持者が別扱いとなるかというと、免許更新制度が導入された平成21年3月31日以前の免許では、有効期限が定められていないため、生年月日で期間を区切り、順番に終了確認期間を設けることで対応しているからである。

話を戻すと、教員免許を持っている大学教員は、そもそも受講資格がなく、受講義務者にもならないということである。

更新講習受講免除対象者

一方、「免許状更新講習を受講せずに免許管理者に申請を行うことによって免許状を更新できる者」が、「免除対象者」となり、以下の2つの場合が挙げられている:

(1)教員を指導する立場にある者

(2)優秀教員表彰者

(1)には、校長(園長)、副校長(副園長)、教頭、主幹教諭または指導教諭、教育長、指導主事、社会教育主事、その他教育委員会において学校教育又は社会教育に関する指導等を行う者に加えて、「免許状更新講習の講師」が挙げられている。

また、講師として免除を受けるには、「有効期間満了日(修了確認期限)の2ヶ月前までの2年間に講師を務めた経験が必要」と定められている。

いずれの場合でも、免除対象ではあっても、免許管理者に免許状の更新手続に関する申請を行わなければならず、それを怠ると免許は失効するということが、わざわざ枠内の注意書きに明記されている。

よくわからないのは、その中に「上記に掲げる者でも、知識技能が不十分である場合は免除対象とはなりません。」と付け加えられていること。一体どういうケースが想定されていて、誰が判定するのか、不明である。実際にこの条件で免除されなかった事例があるのかもわからない。

更新講習の講師を務めた大学教員

私のかつての理解では、自分の免許更新の時期が来た年度に更新講習で講師を務めたら、職場に証明書類を発行してもらい、私の場合は千葉県教育委員会に申請すればよいと考えていた。

しかし、千葉県教委に連絡をしたところ、さにあらず、講師を務めても免許の更新はできないことが判明した。その根拠となるのは、先ほどの枠囲いの注意書きの下にある、米印で始まる1行のただし書き。

※ 旧免許状所持者の場合、免除の対象となるのは、更新講習の受講義務がある者のみとなります。

つまり、教員免許を持っていても、大学教員という立場では受講義務が生じないため、講師を務めても更新講習免除の対象とはならないということである。

更新講習の講師を務めて免除対象となるのはどういう立場の人物を想定しているのかと言えば、主に教員養成大学附属の初等中等教育学校の教諭で、更新講習の講師を仰せつかった教員を想定しているようだ。附属学校以外の教諭が講師を任命されることがあるのかどうかはわからない。

では、なぜ免除となる対象を、「受講対象者」ではなく「受講義務者」に限定したのか。意図はよくわからないが、この条件によって免除対象から除外されるのは、

(2) 実習助手、寄宿舎指導員、学校栄養職員、養護職員

(5) 文部科学大臣が指定した専修学校の高等課程の教員

に加えて、「今後教員になる可能性が高い者」として挙げられている

(7) 教員採用内定者
(8) 教育委員会や学校法人などが作成した臨時任用(または非常勤)教員リストに登載されている者
(9) 過去に教員として勤務した経験のある者
(10) 認定こども園で勤務する保育士
(11) 認可保育所で勤務する保育士
(12) 幼稚園を設置する者が設置する認可外保育施設で勤務している保育士

も排除される。

免許を所持している大学教員の場合、過去に教員として勤務した経験があろうがなかろうが、自分が更新講習の講師を務めたとしても、免許更新の免除対象とはなり得ない。仮に、まだまだこれから中学高校で授業を担当する可能性があると主張しても、それは「受講対象者」とはなっても、「受講義務者」にはならないので、免除の対象にならない。

過去に中学高校で勤務した経験がある大学区要員ならば、(9)の条件によって「受講対象者」とはなり得るので、通常の条件と同じように講習を受講して更新することは可能である。

免除対象となるためには、大学在職中に、非常勤講師などで中学高校で授業を担当すれば「受講義務者」となることができるが、免除の対象となるのが受講期限前の2年間に限られるので、タイミングが難しい。

免許所持大学教員が免許更新しないとどうなるか

最後に、教員免許を持つ大学教員が、免許更新講習を受講しないままでいると免許はどうなるか確認する。文科省のページでは、「更新講習の受講対象者に該当しない場合」として、

更新講習を修了せずに修了確認期限を経過しても免許状は失効せず、免許状を免許管理者に返納する必要はありません。ただし、その後、教員採用内定を得るなど、受講対象者になった場合でも、更新講習を受講・修了しなければ教壇に立つことはできません。

と説明されている。つまり、免許は失効せず、言わば「休眠状態」になるが、仮に中学高校で教壇に立つ場合、そのままでは無免許状態となるので、いったん更新講習を受講して免許を更新してからでなければ教えられない。

この説明では、内定を得た時点で「受講対象者」となるとしているが、その時点で「受講義務者」扱いとなって講習講師として免除の対象となるとは書かれていない。

千葉県教委担当者に確認したところ、採用内定の前年度に更新講習を受講し、免許を更新しておかなければならないので、かなり周到な準備をしなければ現実的には教壇に立つのは難しい。

まとめ

結局、私のケースでは、免許を更新していつでも教壇に立てる状態を維持するためには、

  • まともにコツコツと免許更新講習を受ける
  • 免許の修了確認期限である来年度中にどこかで非常勤として教壇に立つことによって「受講義務者」の資格を得、それと同時に免許更新講習の講師を務めて免除してもらう

という方法の、いずれかしかない。

周囲の大学教員にはなぜ私がそんなに教員免許にこだわるのか理解できないらしく、さてはまた中学校に戻りたくなったのか?などとからかわれる。私にとっては教師としてのアイデンティティーに関わる問題だし、あれほど苦労して取得した免許を、こんな免許更新制度ごときよって休眠状態にされるというのは、我慢ならないことなのだ。

というわけで、どこかに私を非常勤講師として雇ってくれる、物好きな中学・高校はありませんか?

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